奇跡の57歳!元スーパーモデル『ポーリーナ・ポリスコワ』美の基準の難しさを語る、その理由とは?

ポーリーナ・ポリスコワ(57)元スーパーモデルの美貌は変わらず、エイジングケアーを年齢相応にこなしていることがよくわかる。いまだに現役モデルで人気が落ちない!そんな彼女はinstagramの公式サイトで、エイジングケアーの持論を語った。その理由とは?

記事

美容整形外科医が、Paulina Porizkovaポーリーナー・ポリスコワ』の写真を無断で使用した

SpendRush

ー ポリーナ・ポリスコワが、語る

勝手に美容整形を勧める広告に転載されたことに対して、他人に勧める行為には危険性を伴うと自信のインスタグラムで語った。

私の顔で、『何をする必要があるか』を詳しく美容外科医によって、説明されているのを発見しました。

頬の下の厄介な窪みは、フィラーで解消でき、額のボトックス、口の横のシワ、そしてレーザーの束で、全てを引き締めなめらかにすることができる。(その後削除されました)

これらは世間から注目される年配女性が抱える悩みなのです。

私は、自分の顔を『修正』する必要があると言われています。

手段を選ばない、私たちの多くは壊れたと言われたものを、なんらかの形で修復することに頼るのは、不思議なことではないだろうか。

ちなみに、私はレーザー治療を受けたことがある、プラズマベンも。

年相応に見えることを誇りに思いつつ、時には可愛いと思えるように、バランスをとっていきたいと思っています。

仕事柄、不自然なほど細かく自分の顔を見ることもあり、大体は受け入れらるようになったものの、全てを受け入れるのはまだ難しい。

しかし、髪の色や化粧、スキンクリームや服装、魅力的にみられるために女性自身に必要なことを、伝えることは彼女を辱めることなのです。

友人に対して『あのね、あなたは,,,』と考えたり言ったりするたびに、少し立ち止まってください。

もし彼女が助けを求めたいなら。貴方は本当に助けているのでしょうか?

友人の美しいと思うところを見つけて、それを指摘してください。

お互いのサポートする最良の方法は、すでにそこにあるものを祝福することです。

(DEEPYにて翻訳)

公式Instagram

ポーリーナ・ポリスコワ

Cosmopolitan引用元
SPUR.JP 引用元

ポーリーナは、テレビ番組で主演した時にも大胆発言をする

モデル業界や、エンターテイメント業界の年齢差別についても指摘していた。

『シワやたるみ、白髪があるからって、私を見下すことは出来ない』!

私は、ありのままでいるつもりだし、これが最高の私と豪語した。

周囲の批判にも惑われされない!メンタルの強さは、超一流のモデル業界を生き延びてきた証拠かもしれない。

そんな『ポーリーナ・ポリスコワ』(56)は、インスタグラムで、『エイジングケアー』の一環の、ヌードART写真を投稿することでも有名です。

そんな彼女に対しての、アンチのコメントでこのような発言があった,,,

『その年齢なったら、子供や孫の近くに引っ越して、他人のために生きるべき』などのコメントに対して、

またまた、新たなヌードART写真を投稿してしまうほど、アクティブに活動する、ポーリーナさんです。

公式Instagram引用元

2019年に夫を(リック・オケイセック)を享年75歳で心疾患で亡くして、二人の息子もすでに成人している。

ふたりの息子がいる事実も驚きである。

公式Instagram引用元

1980年代のポリスコアが凄かった!あの『エスティーローダ』との契約

1988年にはコスメブランドの最高峰『エスティローダー』とモデル契約をする。

当時のモデル契約金としては、破格の史上最高額!600万ドル(約8億円)だった。

トップモデルを不動のものとした!

ポーリーナ・ポリスコワの経歴

amebaブログ引用元

1965年4月9日生まれ、チェコスロバキア出身!身長がなんと180センチもある。

チェコスロバキア出身なので、名前の呼び方が言い慣れない感じで覚えずらいが、存在感がものすごいモデルですね!

当時はスーパーモデル時代で、シンディクロフォードらと同じモデルの一人として活躍していた。そんなポーリーナの人生もかなりドラマみたいなストーリが壮絶でした。

まだ10代だった母親とトラック運転手の父親の元で、情勢がひどかったチェコスロバキアで生まれた。

当時、民主主義運動の激しくなった、チェコスロバキアを鎮圧しようとソ連が侵攻した時代だ。

1968年に、彼女の両親はまだ3歳だったポーリーナを祖母に預けて、バイクでスウェーデンに亡命。

後にポーリーナを迎える計画だったが、失敗に終わる。

ポーリーナを養子に出すと、チェコスロバキア政府から脅迫された母親は、娘を助け出したい一心で、変装して母国に潜り込んだが、政府に捕まってしまう。

その後6年間も、刑務所や自宅南京で監視下に置かれた。

その時にスウェーデン国内でこの親子の二人がメディアに取り上げられ、新聞で上記の写真が掲載されたという。

それから7年後、親子は再会できることになり、その時の記憶がいまだに鮮明に焼き付いていると、ポーリーナは語る。

『ママの手を握りながら渡った道の両脇は、地雷原だらけ』だったが,,,

オーストリアの国境で,父が私達を待っていたの』と、記憶をたどった彼女は、その時は『その男性が父だとわからなかった』ほどだったという,,,

今後の、さらなる活躍を応援したい。

ピンタレスト

参考動画

コメント

コメントを残す